①ー10.11.12

◆漢文(原文)
有四阿脩羅王。婆稚阿脩羅王。佉羅騫駄阿脩羅王。毗摩質多羅阿脩羅王。羅睺阿脩羅王。各與若干百千眷屬倶。

有四迦樓羅王。大威徳迦樓羅王。大身迦樓羅王。大滿迦樓羅王。如意迦樓羅王。各與若干。百千眷屬倶。

韋提希子阿闍世王。與若干百千眷屬倶。各礼仏足退坐一面。

▲訓読よみ
四阿修羅王あり、婆稚阿修羅王、佉羅騫駄阿修羅王、毗摩質多羅阿修羅王、羅睺阿修羅王なり。各若干百千の眷屬と倶なり。

四迦樓羅王あり、大威徳迦樓羅王・大身迦樓羅王・大滿迦樓羅王・如意迦樓羅王なり。各若干百千の眷屬と倶なり。

韋提希の子、阿闍世王、そこばく百千の眷屬と倶なりき。おのおの仏足を礼し退いて一面に坐しぬ。

◎現代語訳
4人の阿修羅王もいます。婆稚阿修羅王(ばぢあしゅらおう)佉羅騫駄阿修羅王(からけんだあしゅらおう)毘摩質多羅阿修羅王(びましったらあしゅらおう)羅睺阿修羅王(らごあしゅらおう)といいます。おのおのが10万の阿修羅を従えていました。

4人の迦楼羅王もいました。大威徳迦楼羅王(だいいとくかるらおう)、大身迦楼羅王(だいしんかるらおう)、大満迦楼羅王(だ いまんかるらおう)、如意迦楼羅王(にょいかるらおう)といいます。 おのおのが10万の迦楼羅王を従えていました。

韋提希(いだいけ)の子である大国マカダ国の王である阿闍世王(あじゃせおう)も10万の家来を従えています。皆が順々にお釈迦さまのみ前に進みました。そして、ヒザをついては仏足に額をつけ、礼拝して、退いて、お釈迦さまがご説法されるのを今か今かと待っています。

★そのこころは??
お釈迦さまの説法の場に多くの方々が集まりました。なんとその数270万!!
東京ドームが約5万人ですから、その50倍以上です。想像するのも難しいですね。

菩薩さまや尊い修行者や天に住む神々、ご存じ阿修羅や龍王、迦楼羅王などの人とも獣ともつかぬ方々や王である父親を死に追いやった阿闍世王の姿もあります。
これはつまり、ありとあらゆる全ての存在がそこに集い、お釈迦様の説法を待ちわびている光景。
神も人も、王も家来も、天子も鬼も、見えるものも見えないものも、動物も大自然も・・・。
生きとしいける全ての存在にとって、お釈迦様の語られる「生き方」が必要であることを示しています。
そこに存在するものは、姿も違う、心も違う、性格・考え方も住んでいる世界も文化も違う・・・。 その全てのものが、お釈迦様の説法の場に集っている。

ここまで一言も語られずにその世界を描ききったお釈迦様。そこにはどんな意味があるのでしょうか。 それはまた後のお楽しみです。

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(柴又帝釈天題経寺の彫刻「妙法蓮華経序品第一」と、王舎城があったラジギール)

※注釈

●阿修羅(あしゅら)

阿修羅といえば奈良の興福寺の阿修羅像が有名です。
阿修羅は帝釈天にいつ果てるともない戦いを挑む戦闘神としての姿が経典に描かれています。阿修羅王は元々天界にいました。
ある日、天界の王である帝釈天が阿修羅王の愛娘を見そめ、連れ去りました。憤怒した阿修羅王は家来を率いて、帝釈天に戦いを挑むのですが、敗れてしまします。幾度と戦いに挑む中、いつしか愛娘は帝釈天の虜となってしまいました。とうとう阿修羅王の怒りは頂点に達し、闘争を好む鬼となり、ついには天界から追放されてしまいました。
しかし、阿修羅王はのちに仏教に取り入れられ、龍や夜叉のように仏教を守護する八部衆となりました。仏教はかつて過ちを犯した者たちを救うために、それぞれの特技や性質を活かし、仏教守護の善神としての役目を与えてきたのです。
阿修羅王は四王が出てきますが、その詳細は不明ですので、ここでは名前だけ。。
※四阿修羅王
婆稚阿修羅王(ばぢあしゅらおう)
佉羅騫駄阿修羅王(からけんだしゅらおう)
毘摩質多羅阿修羅王(びましつたらあしゅらおう)
羅睺阿修羅王(らごあしゅらおう)

(右写真は、奈良興福寺 国宝阿修羅像)

karura●迦楼羅(かるら)

人とも鳥ともつかぬ姿で、赤い翼を持ち、口から金の火を噴き、龍や蛇を食べる仏教守護の善神です。 また毒蛇を食べるように、人間の煩悩も食べて消し去ってくれる霊鳥として信仰を集めています。
ここでは、その代表たる四迦楼羅王が登場しますが、それぞれのいわれはさだかではありません。

※四迦楼羅王
大威徳迦楼羅王(だいいとくかるらおう)
大身迦楼羅王(だいしんかるらおう)
大満迦楼羅王(だいまんかるらおう)
如意迦楼羅王(にょいかるらおう)

(右写真は、国宝 迦楼羅像)

budadgaya
●阿闍世王(あじゃせおう)
古代インドに栄えたマガダ国の国王です。マカダ国は現在のインド東部ビハール州。ガンジス川の下流域です。お釈迦様が悟りをひらかれたブッダガヤもこの州にあります。

また、マガダ国の首都が王舎城であり、お釈迦さまが法華経を説かれた霊鷲山はこの王舎城にあります。
父親は頻婆娑羅(ビンバサラ)で、母親は韋提希(イダイケ)といいます。
阿闍世王がまだ王子だった頃、お釈迦さまを何度も迫害しようとした提婆達多(だいばだった)の策によって、王であると父を殺し、母親を幽閉して王位に就きました。
しかしその後、阿闍世王は罪悪感から激しい頭痛を感じるようになり、あまりの激痛に耐えきれずお釈迦さまに相談をし、教化され、頭痛が治まったことをきっかけに、以後お釈迦さまに帰依することになりました。
それからは、物心両面でお釈迦さまを支え、お釈迦さまの滅後、経典編纂にも多大な貢献をしたといわれています。

(右写真は、ブッダガヤの菩提樹)