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◆漢文(原文)
『妙法蓮華経序品第一。姚秦三蔵法師鳩摩羅什詔奉訳』

如是我聞 一時。仏住。王舎城。耆闍崛山中。与大比丘衆。万二千人倶。
皆是阿羅漢。諸漏已尽。無復煩悩。逮得己利。尽諸有結。心得自在。

▲訓読よみ
『姚秦の三蔵法師鳩摩羅什詔を奉して訳す』

かくのごときを我聞きき。一時、仏、王舎城・耆闍崛山の中に住したまい、大比丘衆万二千人とともなりき。みなこれ阿羅漢なり。諸漏すでに尽くしてまた煩悩なく、己利を逮得し、もろもろの有結を尽くして、心自在を得たり。

◎現代語訳
『姚秦(ようしん)の三蔵法師である鳩摩羅什(くまらじゅう)が詔(みことのり)を受けて訳しました。』

私はこのようにお釈迦さまから聞きました。 ある時、お釈迦さまは王舎城、現在のインド中部の耆闍崛山(別名 霊鷲山)という山中にとても多くの出家僧と共に暮らしていました。 この出家僧らは阿羅漢という悟りの境地にありました。つまり、色々な迷いを引き起こす煩悩を断ち切り、心の穢れなども無く、心を自在にコントロールできる人達でありました。

★そのこころは??
『如是我聞』!!さぁ、妙法蓮華経の幕開けです。
お釈迦様のいらっしゃるところは、王舎城の耆闍崛山(霊鷲山)。
ここから、宇宙の法則までもが語られる法華経の世界が開かれていきます。
この序品では、そこにいた多くの聴衆の紹介と、そこで繰り広げられた
様々な現象が展開され、ここに登場する阿羅漢も重要な役割をにないますが、
それはまたもう少しあとのお話・・・。

この「そのこころは??」では、お釈迦様が皆さんに伝えようとされたことを、
皆さんの生活・人生に活かして頂けるように紹介していきます。

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(柴又帝釈天題経寺の彫刻「妙法蓮華経序品第一」と、王舎城があったラジギール)

※注釈

●「序品」(じょほん)
序は、日本では「はじまり」という意味で使われます。例えば、相撲の番付の序二段。その下を「序の口」といって、「何かが始まったばかり」という意味です。
しかし、法華経が説かれたインドではと言いますと、「糸口」という意味があります。
法華経の開幕を告げる重要なプロローグを担っているということです。
「品」は、各お経の名前の最後は必ずこの字が付きます。「章」ということです。

●「姚秦」(ようしん)
中国の南北朝時代初期の西暦384~417年の時代です。

●「三蔵法師」(さんぞうほうし)
経典、戒律、理論解説書に非常に秀でたお坊さんをいいます。
中国四大奇書に数えられる「西遊記」は、実在の「玄奘(げんじょう)三蔵法師」をモデルにした物語で、玄奘三蔵法師は鳩摩羅什と共に「二大訳聖」と呼ばれます。

●「鳩摩羅什」(くまらじゅ)(350~409
妙法蓮華経をインドの言葉から訳された中国のお坊さんです。インドの貴族の血を引く父と、亀茲(きじ)国の王族の母との間に生まれ7歳のとき母とともに出家しました。
はじめ小乗仏教を学んでいましたが、のちに大乗仏教を信仰しました。
西暦 384年に亀茲国を攻略した呂光の捕虜となりますが、西暦401年に後秦の姚興(ようこう)に迎えられて長安に入りました。精力的に経論の翻訳を行い多くの門弟を育てました。
『阿弥陀経』『大品般若経』『維摩経』『大智度論』『中論』は鳩摩羅什訳です。

●「如是我聞」(にょぜがもん)
ほとんどの経典は「阿難」(あなん)という弟子のこの言葉で始まります。
「かくのごときを我聞きき」
『維摩詰所説經』 如是我聞。一時佛在毘耶離菴羅樹園。
『佛説阿彌陀經』 如是我聞。一時佛在舍衛國。祇樹給孤獨園。
『佛説觀無量壽佛經』 如是我聞。一時佛在王舍城耆闍崛山中。
『大般若經』 如是我聞。一時薄伽梵。住王舍城鷲峯山頂。
お釈迦さまの側で長年ご給仕していた阿難は、その教えもよく耳にし記憶していたことから「多聞第一」と言われました。
またお釈迦さまが亡くなられた後、お経の編纂に中心的な活躍をしました。

●「一時」(いちじ)
これは「ある時」という意味です。

●「王舎城」(おうしゃじょう)
中インドのマガダ国の首府名。パトナ(Patna)の南方、現在のラジギール。
お釈迦様の大信者で支援者だった頻娑婆羅王とその子阿闍世王の居城です。

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●「耆闍崛山」(ぎしゃくっせん) インドにある山の名。 お釈迦様がこの山で八年間をすごされ法華経を 説かれた所です。 マカダ国の首都である王舎城(現在のラジギール) の東北にある山で、グルドラクータといわれ、漢訳 されて耆闍崛山となり、霊山(りようぜん)霊鷲山 (りょうじゅせん)とも呼ばれています。 日蓮聖人はこの山で法華経が説かれたことに大きな意義がある、最も尊い秀れた山であると言われ、特に「霊山浄土」(りょうぜんじょうど)とも称されました。
(右写真は、紺紙法華経の巻頭、お説法の図)

●「比丘」(びく)
出家した男のお坊さん達です。

●「万二千人」(まんにせんにん)
これは、12000人説と1200人説があります。
チベットでは12000人説ですが、他の経典などを見ても両方の説があります。

●「阿羅漢」(あらかん)
煩悩(苦しみのもとになる心)をなくし、修学が完成して学ぶべきこともすっかりなくなり、皆さんから色々と施しを頂けるほどの立場になったもの。

●「漏」(ろ)
煩悩によって汚れてしまった状態。その汚れ自体。
「諸漏を尽くし」ですから、汚れを完全に無くしたということ。

●「煩悩」(ぼんのう)
人の心の中に108個あると言われる苦しみの根幹となる心、考え方。
仏教には「煩悩即菩提」(ぼんのうそくぼだい)という言葉があります。
煩悩と菩提(幸せの境地)は隣り合わせだという意味です。
自分の煩悩に気づき、反省するところが仏道の第一歩です。

●「己利を逮得」(こりをたいとく)
自分にうちかち、全ての知識や技術を身につけること。

●「有結を尽くし」(うけつをつくし)
人を苦しめる煩悩を無くしたということです。
煩悩に惑わされない動じない心の状態。

●「心自在を得たり」(こころじざいをえたり)
自分を意のままにコントロールできる状態。
いつでも完全な安寧(ニルバーナ)に入る準備ができていること。