上行菩薩と末法時代
菩薩とは、お釈迦(しゃか)さまから教え(仏法(ぶっぽう))を授かり、悩み苦しむ人々を自ら進んで救済する方々のことをいいます。
しかしお釈迦さまが亡くなられた後、その教えは次第に薄れていき、2000年を過ぎる頃には、仏法世法がともに乱れて社会や人の心が荒廃し、苦悩に満ちあふれる末法(まっぽう)という時代が訪れると説かれました。
そこでお釈迦さまは、上行菩薩をリーダーとする菩薩たちに『妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)』(以下、法華経(ほけきょう))を授け、この教えによって、苦しむ人々を救うよう託されたのです。
日蓮聖人と法難
そして、末法の始めとされる鎌倉時代に日蓮聖人が現れます。聖人は勉学修行の末、多くの経典の中で、『法華経』こそが正しい教えであることを悟り、『南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)』のお題目を唱えて、貧困や戦乱に苦悩する人々を救おうとされました。
ところが浄土教(じょうどきょう)一色だった幕府の反感を買い、住まいを焼かれ、島に流され、刀で切りつけられるなど、命の危機に及ぶ数々の法難に遭うことになります。仏法を弘(ひろ)めることによって遭う難であることから
「法難」と呼びます。
しかし、『法華経』第十三番目の章『勧持品(かんじほん)』には、次のように記されています。「末法の時代に法華経を弘める者は、悪口雑言(あっこうぞうごん)を浴びせられ、度々居場所を追われ、刀や杖で打たれる」と。
上行自覚
ついに文永8年(1271)9月12日、聖人は龍ノ口(たつのくち)(現、龍口寺(りゅうこうじ))にて首を刎(は)ねられそうになりました。
ところがこの時、天より光の玉が降り注いで、役人の刀に命中して折れ、斬首(ざんしゅ)を免れたのです(龍口法難(りゅうこうほうなん))。奇跡的に一命を取りとめますが、後に佐渡島(さどがしま)へ流されました。
しかし聖人は、度重なる法難から、自らを末法に『法華経』を弘める上行菩薩の再誕(さいたん)であると、強い自覚を持たれることになったのです。