①ー3・4

◆漢文(原文)
復有学無学二千人。摩訶波闍波提比丘尼。与眷属六千人倶。羅・羅母。耶輸陀羅比丘尼。亦与眷属倶。菩薩摩訶薩。八万人。皆於阿耨多羅三藐三菩提。不退転。皆得陀羅尼。楽説弁才。転不退転法輪。供養無量。百千諸仏。於諸仏所。植衆徳本。常為諸仏。之所称歎。以慈修身。善入仏慧。通達大智。到於彼岸。名称普聞。無量世界。能度無数。百千衆生。

▲訓読よみ
復学無学の二千人あり。摩訶波闍波提比丘尼、眷属六千人と倶なり。羅羅の母耶輸陀羅比丘尼、亦眷属と倶なり。 菩薩摩訶薩八万人あり。皆阿耨多羅三藐三菩提に於て退転せず。皆陀羅尼を得、楽説弁才あって、不退転の法輪を転じ、無量百千の諸仏を供養し、諸仏の所に於て衆の徳本を植え、常に諸仏に称歎せらるることを為、慈を以て身を修め、善く仏慧に入り、大智に通達し、彼岸に到り名称普く無量の世界に聞えて、能く無数百千の衆生を度す。

◎現代語訳
また、学ぶことがある人・すでに学ぶことがなくなった人達が2千人いました。 摩訶波闍波提比丘尼が、比丘尼6千人と共にいました。 羅睺羅の母である耶輸陀羅比丘尼が、比丘尼と共にいました。 また、偉大な菩薩達が8万人いました。その菩薩達は皆、この上無い正しい悟りの境地に到達できるように修行を怠ることがありませんでした。お釈迦さまの教えを心に止め忘失しない陀羅尼という保持する能力を得て、自ら願い進んで人々に法を説き、正しい悟りの境地に到達できるように仏さまの教えを伝え、量ることができないほどの仏さまを供養し、仏さまの元で多くの善い行いをして、常に仏さまに褒め讃えられ、人々をいつくしみ楽を与えることに励み、善く仏さまの智慧を理解し、仏さまの大きな智慧を体得し、悟りの世界(彼岸)に到り、その名は世界に広まり、数え切れないほどの人々を救ってきました。

★そのこころは??
ここで登場される聴衆は声聞(しょうもん)といわれ、お釈迦さまの説法、すなわち「声」を直接聞いた方達です。
現在の私たちは直接お釈迦さまの声は聞けません。しかし、皆さんの「信じる心」によって、法華経の一文字一文字がお釈迦さまの声になるのです。さあ耳を澄ましてみましょう!
皆さんは、お盆のお施餓鬼(せがき)のいわれをご存知ですか? 実は、ここに登場される大目揵連さんのお話しです。
昔、大目揵連(目連)さんは、亡くなったお母さんがどうされているか神通力で探しました。見つけたところは、食を貪った罪で餓鬼の世界にいました。お釈迦さまに相談したところ、餓鬼の世界に食物を施し、お経を読誦して心から供養しなさいといわれました。その行いにより、大目揵連(目連)の母は、苦しみから逃れることが出来ました。
現在のお施餓鬼というのは、餓鬼の世界に施した功徳(善い行い)をご先祖様に回向(回し向ける)し供養するという意味で、お盆の大切な行事になっています。

(柴又帝釈天題経寺の彫刻「妙法蓮華経序品第一」と、王舎城があったラジギール)

※注釈

●「学・無学」(がく・むがく)
学とは、学ぶべき事のある人、すなわち有学という意味です。  中国語の動詞で、学とは真似るという意味があります。 無学とは、もはや学ぶべき事の無い人という意味です。 学が無いと説明している辞書もありますが、本来の意味ではありません。

●「摩訶波闍波提比丘尼」(まかはじゃはだいびくに)
お釈迦さまの叔母であり、養母であります。最初の比丘尼(女性の出家者)となった人です。 摩訶とは、偉大なという意味ですので、偉大な女性の出家者波闍波提という意味です。 また、憍曇弥(きょうどんみ)や仏典「大愛道比丘尼経」より、大愛道(だいあいどう)と記される場合があります。

●「眷属」(けんぞく)
眷愛隷属(けんあいれいぞく)・眷顧隷属(けんこれいぞく)の略で、親族、同族・従者、家来の事を言います。

●「耶輸陀羅比丘尼」(やしゅたらびくに)
お釈迦さまが出家される前の妃(妻)で、羅睺羅の母です。 お釈迦さまが悟りを開いて5年目に、釈迦族の女性500人と出家しました。

kokuuzou●「菩薩摩訶薩」(ぼさつまかさつ)

菩薩とは、菩提薩埵(ぼだいさった)の略で、悟りを求める人のことで、摩訶とは、偉大なという意味ですので、悟りを求める偉大な修行者のことです。 菩薩の修行とは、上求菩提(じょうぐぼだい)上には悟りを求め、下化衆生(げけしゅじょう)下には衆生を救う人のことです。

(右写真は、虚空像菩薩坐像)

 

 

●「あのくたらさんみゃくさんぼだい」(あのくたらさんみゃくさんぼだい)
この上無い正しい悟りの境地。すなわち仏教の真理を理解して、お釈迦さまのように成道(成仏得道)すること。

●「退転」(たいてん)
修行を怠り、一度得た悟りを失って、低い方へ落ちること。

●「陀羅尼」(だらに)
本来は「記憶して忘れない」という意味でしたが、転じて「暗記されるべき呪文」となり、呪文のことを陀羅尼というようになりました。

●「楽説弁才」(ぎょうせつべんざい)
楽説には、願って説く・楽しく説くという意味があります。弁才は、巧みに話す能力という意味があります。楽説弁才は、仏法を説く事は歓びであるので、自ら願い進んで説法するという意味です。

●「不退転」(ふたいてん)
修行を怠ることなく、正しい悟りの境地に向かうこと。

●「法輪を転じ」(ほうりんをてんじ)
お釈迦さまの教え(法輪)を他の人に伝える(転じる)事です。お釈迦さまがインドの鹿野苑で5人の修行仲間に説法されたことを初転法輪と言っています。

●「無量百千」(むりょうひゃくせん)
無量は、量ることができないほど多いこと。百千は、百×千=10万 無量百千は、量ることができないほど多い数×10万=限りなく量ることのできない多い数の事です。

●「諸仏」(しょぶつ)
もろもろの仏ということですが、仏教を説いたお釈迦さまの分身仏のことです。 分身仏とは、人々を救うために、様々な仮のお姿で現れる事です。

●「供養」(くよう)
本来、仏に香・華などの供物を真心から捧げることです。 十種の供養とは、①華(花)②抹香(粉末の香の香り)③焼香(焼いた香の香り)④塗香(塗る香の香り)⑤衣服(着る物)⑥瓔珞(装身具)⑦憧旛(旗やのぼり)⑧宝蓋(宝玉づくりの天蓋)⑨伎楽(音楽)⑩歌頌(讃歌)です。

●「徳本を植え」(とくほんをうえ)
徳本とは、善い行いの功徳(功能徳力)を植えること。すなわち、善い行いをする心を育てることです。

●「称歎」(しょうたん)
褒め称えることです。

●「慈をもって身を修め」(じをもってみをおさめ) 慈とは、衆生をいつくしみ楽を与えることです。身を修めるとは、自分の行いや生き方を正しくすること。

●「善く仏慧に入り」(よくぶってにいり)
仏慧とは、仏の智慧。すなわち、善くお釈迦さまの教えの智慧に入ること。

●「大智を通達し」(だいちをつうだつし)
大智とは、お釈迦さまの大きな智慧。通達とは、真理を体得すること。

●「彼岸に到り」(ひがんにいたり)
彼岸とは、悟りの理想世界のことです。

●「無数百千」(むしゅひゃくせん)
無数は、数えることができないほど多いこと。百千は、百×千=10万 無数百千は、数えることができないほど多い数×10万=限りなく数えることのできない多い数の事です。

●「衆生を度す」(しょじょうをどす)
度とは、救うという意味。すなわち、衆生を救うことです。